2つの時間
久しぶりに自炊をはじめた
そばを茹でる
茹で時間は4分30秒
うちにはキッチンと部屋に同じ時計が2つあって
キッチンの時計は止まってて
時間がはかれない
流しの下をあけたら
ひきだしが置かれていて
中には
お湯でもどすスープとか
かけるだけのパスタソースとか
缶詰とかがいっぱいそろえられていた
2013年とかで
全部期限切れだった
あっという間に3年が過ぎていた
そばをざるにあけて
流水ですすぎ
机に持ってって部屋の時計をみたら
まだ4分くらいだった
時計
なおらないかなぁー
アン・リヴィエール
仔猫って嘘みたいにちいさいのね
なぜか幽々白書のアニメを50話くらいずっとみてました
人間界 霊界 魔界
があるんだって。
たまに昔の絵巻物の絵で
鬼が村を襲ってる絵がでてきたりするんだけど
鬼って本当にいたのかなぁ
ペリーの似顔絵が鬼みたいな顔に描かれてるのとかみると
初めてアメリカ人をみて自分たちと違う「生き物」
に見えてその怖さの表現としてあんなふうに描いたのかもと思うと
昔話にでてくるような角が生えてる鬼っていなかったんじゃないかなとおもう
でも、だから昔のそーいう絵が
ただの作り話程度のものかっていうと
そーではなくて
人の精神の部分を見た目に置き換えた絵なんだろうな
と思う
「目」のことを考える
アーティスト集団の「目」ではなくて
普通に体の「目」
目は物理的にも機能的にも
ものすごく繊細で弱い
のに超重要な役割をになっている
何かのはずみで目をやられちゃって
その瞬間から目が見えなくなる可能性なんて毎秒存在するのに
今のところ大丈夫
目が見えなくなっちゃったら今と同じようには生きられないし
何もできないんじゃないかって思う
それくらい目に頼ってるし
だから目に見えてるものに気をとられちゃう
昔の人は今よりも視力が良かったと思う
昔の人が今みたいに普通にメガネみたいなものを持ってたとも思えないし
遠くを見る事も多かったはずだし
だけど、現代の人たちよりも
見えないものを気にしてたと思う
鬼も妖怪も具現化された形では存在してなかったと思うし
「何かの仕業だ=妖怪の仕業だ」ってことでは無かったにしても
人が突然消えちゃう「神隠し」とか
生け贄を捧げる言い伝えとか
残虐な殺しをする鬼とか
そーいうのは全部人がしていた事で
普通の人としては理解できないような精神状態の人
だとか、「負」の存在としてあるけど人々が受け入れなきゃ行けない「モノ」
に対してのつきあい方だったり
そーいう「人」の闇の部分の事だと思う
その「闇」を公にしない工夫でもあったのかもしれないし
わからないものに対する恐怖をとりあえずのカタチにしたものかもしれない
地獄っていうのも
死んでからの話じゃないと思う
仏教的な意味で輪廻転生とか、
徳を積むとか、
終末思想とか、そーいう意味では死後の話だけど
そうじゃなくて生きていても容易に受け入れられない現実があったなら
それは地獄なんだとおもう
もうあり得ないもう一つの人生のかたっぽを
同じ今の自分の中でのできごとのように気にしていると
受け入れられない現実として
一生それと並行して生きて行かなければいけないのかと思うと地獄だと思う
だから気にしなければいいんだけど
「それでも気にしてしまう」
っていう
自分の中にいる「妖怪」みたいな気持ち悪い存在が
いつまでたっても出て行かない
ムカデとかミミズとかダンゴムシとかがじめじめした大きな石の下を好むように
今の自分の中身は邪念たちが好む場所になっちゃってるんだろうなぁ
アン・リヴィエールってなんなの?
カタカナにすると「何語?」とか関係なく
一つの言葉として成立してるような雰囲気がでるから
そーいうカタカナのネーミングって素敵だよね
将来はカタカナになりたいです
VILLAGE ON THE VILLAGE
なんだかよくわからないモノに時間をかけるのは不安だけど
気持ちがひかれてなんだかよくわからないけど参加する事とかは
なにかがどっかでつながったりする
そのつながる事の偶然性を運命みたいなものに勘違いしがちな人間ですが
それも悪くないんじゃないかな
というのを自分が自分に示してあげたい
ここ2年間くらいで忘れてた感じをとりもどして
感覚的に何かに惹かれて
自由で無責任な甘いにおいのする野原にいってみたくなる
帰り道でおもったこと
判断について
あーなんかよくないほうへ行きそうだな という嗅覚は
割と働いているとおもうけど
そこで あ、やめておこうという判断をするのが自分らしい選択だったけど
おとなとかせいちょうとか、そー言う事を変に意識した結果
ここでひきかえしちゃダメなんだろうなとかいって
自分じゃないもので自分を動かしていた感じで
バランス感覚をにぶらせてたのかな
最近腰が痛い
いま思った事
YO!よう!腰(よう)!
体の要(カナメ)
ニクヅキの要(カナメ)
おわりです
20160615
20160614
・切り立った石の断面
・地図
人間の営みの中での自然というか
不自然なものには何かしら人の意図みたいなのが入るから
おもしろくないのだなとおもいました
職場の近くに「牛込」(読み:うしごめ)と書かれた牛のキャラクターがいます
お昼ご飯に行くのにそこを通りかかったとき
職場の人たちの会話で「申し込みしないと・・・」
というフレーズが聴こえて
『も牛込(うしこ)み』と一人で思っていました
今日改めて、自分はなんでこんな仕事してんのかな
と思いました
建築なんて興味ないし好きでもないのに
仕事に対してなにか決意をした時の自分は
よっぽど何か意味の無い事に気をとられていたんだな
と思いました
20160613
今日は大学の友達の誕生日だ
ってことに今日が終わる30分前に気づいた
一昨日は弟の結婚式だった
結婚式にいってとても朗らかな気持ちになったけど、
特になにかが変化したという感じも無くて、
心から「よかったね」って思った
でも弟の子供がうまれたりしたらと思うと
その時の気持ちはまだ想像できないな
今日ふと思った事
失うモノは取り戻す事が困難なものばかり
中野駅の乗り換えの時になぜか思いました
ファミマの「ななさわ」さんは
小銭多めに払うと
黙ってしまう
今日は158円(硬貨6枚)でも黙ってしまい
小銭を手にまとめようとした時にじゃらじゃら落としてしまっていた
ななさわさんいつもありがとう