だらだらじんせい
一瞬で気持ちは変化する
今日はあかりちゃん(6歳)と海へ行った。砂浜を降りていって寄せたり引いたりする波打ち際で、足に波が来るたびにきゃーきゃーいって遊んだ。
夜、一階の店舗は閉店時間特になしのお店としてオープンする。
そこに来た知り合いと話したり、一緒に住んでる仲間と2人で話したり。
一対一で話してると、とても意味のある会話をしているような気分になっていた。
でも、彼はよその話にも耳を傾けていて、そっちの話に違う仲間の話題が出ていることを聞いていて、「彼の名誉のためにいうと…」と、その場で話に参加していった。その話は俺の全く知らない、知っている人との関わりについての話だった。
初めて会う人と積極的に話そうという気持ちになかなかなれず、だけど、自分を知ろうとしてくれる人に対しても、自分が何かできるわけでもなく、人に大目に見てもらいながら生きているだけなのかもしれないな、っていう気持ちになる時がある。
一人で生きて行くことができるようにならないといけない。
そのためにはきっと、苦手な事でもできるようにならないといけない事があるのかもしれない。
「自活できるやつに来てもらいたいですよね」と言っていた友達のセリフを必要以上にずっと気にしている。
自分に向けられた言葉でもあったのではないかな、と。
いま、いろんな事が順調に流れているような気がしている。
だけど、それは自分の努力のために維持されている事では無いような気もしている。
周りの人の理解や、優しさに寄りかかっているだけなのかもしれない。と。
自分に何かできるのか。
自分は誰かに必要とされてここにいるのだろうか。
そんな時甘えたり、寄りかかってもいいよ、と言ってくれる人が、今の自分にはいるのだろうか。不安になった。
東京では、たくさんの他人の隙間に、ギュッとされて生きていた
鳥取では、たくさんの温かい人たちに囲まれてふっくらと生きている
東京から逃げ出して来たんじゃないのかな俺は
あかりちゃんに [だらだら人生]というあだ名をつけられた
意味わからないけど、不思議とハマっている気がする
あかり「人生終わった事ある?」
じぶん「え?ないよー。人生終わった事はないでしょー」
あかり「あかりはあるよ。10回あるよ。いや、100回以上あるよ!」
でも、本当は俺も10回くらい人生終わったようなタイミングで、現実をリセットするように逃げて来たと思う
だらだらじんせいはこれからどうなっていくんだろうね。
大切な人を大切にできるようになりたい