断面

きたいえきたいこたいのこと

タヒって死ってことだったのか

いろんなできごとにはきっかけがあって、それはまるで無から有になるように、はじまるけど、もうそれが最中になると、始まりや過程はないがしろになったりする。

 

水が土に浸透する時、下へ下へ向かっているようだけど、横にも向かってる。

点は一次元だとされてるけど、点としてポイントを描けばそれは二次元だし、球体だとすれば三次元である。

成長が、問題を合理的に解消できるようになる変化のことだとしても、それがいきつくところはどこだろうか。

絵を描いていれば、完成は自分で決めるところだし、自分の手を離れるときはその絵が完成しているという事でもある。だけど完成を通り過ぎて手を加えた絵は、完成をピークにどんどん悪くなって行く。

 

爆笑問題の爆問学問

京都大学の山極寿一教授(当時)の回をみていて、人間に最も近い霊長類である、ゴリラの研究をして、人間と違う部分を知る事で、人間の「人間である事」とはどういった要素なのか、ということを探ろうとしているのを観て、山極さんの著書「暴力はどこからきたか」を読んでいる。

「暴力」「闘うという事」「争い」については、安保法案の可決や、9条の改憲、国を守るということ、問題の解決手段としての武力行使の是非について考えてたけど、考えがまとまらなかったこともあって、ちゃんと考えたかった。

 

2001年宇宙の旅

「暴力はどこからきたか」の中で、人間の祖先である猿人が、攻撃性を触発されて、動物の骨を「武器」として使い始める「夜明け前」という章が「2001年宇宙の旅」という映画の中にある、と紹介されていて、おー観てみようとなってTSUTAYAに行く。近所のTSUTAYAにいったらDVD3本あったけど、すべてかりられていた。(「え!マジで!」と言いました。)

また別の日に行ってかりてきて観たら、キューブリックらしく、やっぱり描かれているのは、未来の方がメインだった。

劇中での猿人は、同種どうしの縄張り争いの時に「武器」を使っている集団が武器を持たない集団を追い払って、自分たちの生活圏を守っていた。

ただ、これは映画ができたころ(1968年)に有力視されていた、説をもとにしているようだけど、『人間が本性として持っていた攻撃性を武器が拡大し、戦争を引き起こすようになった』という考えは現在は間違いであったとされているとのことです。

 

それより、映画をみてて気になったのは、この映画にでてくるモノとか、描写が、エヴァンゲリオンの描写の仕方ににてるな、と思った事。

エヴァンゲリオンに似てるんじゃなくて、エヴァンゲリオン庵野さんが描き方をまねてるんだ、とわかったけど。

 

エヴァンゲリオン

でも気になったので、エヴァンゲリオンをあらためて一話からみてみる。

 

「2001年宇宙の旅」で、惑星に探査機みたいなやつが着陸するときに、乗り物から脚が出てくるんだけど、それが節足動物の脚みたいだった。

 

地球の生き物は環境の変化などに適応するため、自らを物理的に進化させて、種を継続させてきた、とかいわれているけど、ほんとかな?と思う。

環境に合わせて形を変えるなんてできないと思う。もともとものすごくたくさんの種類がいたけど、生き残れなかった種類がいなくなって、生き残ったやつが残ってるだけだと思う。

で、そのもともとの生き物はどうやって生まれたか、ってことだけど、宇宙からやってきたんじゃないのかな、とかおもう。

エヴァンゲリオンだと、使徒は地球外生命体。地球にはヒトていう使徒がいるので、地球外から来る違う使徒を追い払っている。

いろんな形の使徒がくる。

 

ヒトが惑星に着陸する時にバッタみたいな脚ののりもので着陸する。

同じようにバッタも宇宙から地球にやってきたんじゃないのかな。ちがう生き物だから、バッタの言葉は理解できないけど、バッタと話してみたい。ネコとか、クモとか、トカゲとか、うちに勝手にくる生き物とも話してみたい。

自分はいつも部屋にいるけど、やってくる生き物はヒトよりも、違ういきもののほうが多いしね。

 

蚊は放っておくと刺してくるので、見つけたら叩き潰す。でも、それ以外の生き物は放っておく。

 

 

エヴァンゲリオン2015年の冬に完結編がやるんだってね。知らなかったー。