断面

きたいえきたいこたいのこと

アン・リヴィエール

仔猫って嘘みたいにちいさいのね

 

なぜか幽々白書のアニメを50話くらいずっとみてました

人間界 霊界 魔界

があるんだって。

 

たまに昔の絵巻物の絵で

鬼が村を襲ってる絵がでてきたりするんだけど

鬼って本当にいたのかなぁ

 

ペリーの似顔絵が鬼みたいな顔に描かれてるのとかみると

初めてアメリカ人をみて自分たちと違う「生き物」

に見えてその怖さの表現としてあんなふうに描いたのかもと思うと

昔話にでてくるような角が生えてる鬼っていなかったんじゃないかなとおもう

 

でも、だから昔のそーいう絵が

ただの作り話程度のものかっていうと

そーではなくて

人の精神の部分を見た目に置き換えた絵なんだろうな

と思う

 

「目」のことを考える

アーティスト集団の「目」ではなくて

普通に体の「目」

 

目は物理的にも機能的にも

ものすごく繊細で弱い

のに超重要な役割をになっている

 

何かのはずみで目をやられちゃって

その瞬間から目が見えなくなる可能性なんて毎秒存在するのに

今のところ大丈夫

目が見えなくなっちゃったら今と同じようには生きられないし

何もできないんじゃないかって思う

それくらい目に頼ってるし

 

だから目に見えてるものに気をとられちゃう

 

昔の人は今よりも視力が良かったと思う

 

昔の人が今みたいに普通にメガネみたいなものを持ってたとも思えないし

遠くを見る事も多かったはずだし

 

だけど、現代の人たちよりも

見えないものを気にしてたと思う

 

鬼も妖怪も具現化された形では存在してなかったと思うし

「何かの仕業だ=妖怪の仕業だ」ってことでは無かったにしても

人が突然消えちゃう「神隠し」とか

生け贄を捧げる言い伝えとか

残虐な殺しをする鬼とか

そーいうのは全部人がしていた事で

普通の人としては理解できないような精神状態の人

だとか、「負」の存在としてあるけど人々が受け入れなきゃ行けない「モノ」

に対してのつきあい方だったり

そーいう「人」の闇の部分の事だと思う

 

その「闇」を公にしない工夫でもあったのかもしれないし

わからないものに対する恐怖をとりあえずのカタチにしたものかもしれない

 

地獄っていうのも

死んでからの話じゃないと思う

 

仏教的な意味で輪廻転生とか、

徳を積むとか、

終末思想とか、そーいう意味では死後の話だけど

そうじゃなくて生きていても容易に受け入れられない現実があったなら

それは地獄なんだとおもう

 

もうあり得ないもう一つの人生のかたっぽを

同じ今の自分の中でのできごとのように気にしていると

受け入れられない現実として

一生それと並行して生きて行かなければいけないのかと思うと地獄だと思う

 

だから気にしなければいいんだけど

「それでも気にしてしまう」

っていう

自分の中にいる「妖怪」みたいな気持ち悪い存在が

いつまでたっても出て行かない

 

ムカデとかミミズとかダンゴムシとかがじめじめした大きな石の下を好むように

今の自分の中身は邪念たちが好む場所になっちゃってるんだろうなぁ

 

アン・リヴィエールってなんなの?

カタカナにすると「何語?」とか関係なく

一つの言葉として成立してるような雰囲気がでるから

そーいうカタカナのネーミングって素敵だよね

 

将来はカタカナになりたいです