断面

きたいえきたいこたいのこと

アイデア生誕の地

便利になったからこそ、モノの数で解決させず、身の回りに置くものは自分で判断して、少しのもので対応させたい。

だけど、無駄を無くす、とか、整理整頓、とかを意識しすぎると、

夕焼けのグラデーションのように、実体のない光の粒の集まりみたいな、自然の魅力とは違う、モニタのディスプレイ表示のように、近くて遠いモノになってしまいそう。

あと、イマジネーションから出てくる言葉を文章にするには、こーいうデジタルな表記方法はやりずらい。

紙に書いて置く方がいいみたい。

 

ウィンウィンの関係が良いとか、よく知らないけど、プラスのモノをさらにプラスにしようとするモチベーションも、マイナスをせめてゼロにしたいと思うモチベーションも、下から上を向いていく方向だけど、どっちのモチベーションの方が強いかとかは、置いて置くにしても、現状の立ち位置が近いもの同士が支え合うのだと思う。

相談をするのも、されるのも、お互いを支え合う関係だと思う。

作品を作るのも、作品を観るのも、同じ。

「万能を求める社会の網」に引っかからなかった破片のようなモノたちや、人たちと一緒にいられたらいいな

 

今、目に映ってる三次元空間を、張り紙のように、角を爪で剥がして、ベリッとすると、その裏面にぴったりと余(よ)次元空間のパラレルワールドがある。

そこには、三次元で表せない、イマジネーションの余次元世界があって、三次元空間での物理現象のしくみのように、形のない現象のしくみがある。

たまに起こる偶然とか、運命なんじゃないか、と感じるような、見えない線で繋がれているような出来事は、余次元世界での当たり前の出来事なのかもしれない

 

もう少しうまくいいたい…

ヒト粒

きっと宇宙に漂うひとつのちりだった
数えきれない偶然がかさなって一つのほしになった。
その中でたくさんのちりとくっついて、養分になったり、微生物になったり、糞になったり、土になったり、虫になったり、何度も何度もくりかえして、一人の人間のもとにきた
宇宙の中でたった一つの時はさみしかっただろうね
星になって、集まっていられる安心感を感じただろうね
土になってミミズに食べられた時も、ミミズになって鳥に食べられた時も、悲しくはなかったでしょ

意識っていうものは物質として存在するのかな?
人として、一つの存在としての意識がある
家族とか、クラスメイトとか、部活の仲間とか、職場とか、集まっていられる事には意識しないところに安心感があるけど、意識に登ってくるのは、みんなとは違う、でも間違ってないていう意識
離れると、宇宙でたった一人漂ってるみたいな気持ちになった
部屋型の宇宙船で漂ってるみたいに。
ちょうど、園子温のひそひそ星をみたけど、あんなふうに

自分のもとにきた一つの宇宙のちりは、宇宙の孤独を知っているのに、得体の知れない意識の方は、孤独のこわさがわかってないみたい

広い宇宙の中で、みんなで寄り添って地球に生きてるんだよね
そうかんがえたらみんな寂しがりやで、かわいいよね

涙はサイン

youtubemで曲を流しながら、デスクトップのデータを整理していた。

写真とかムービーとか、メモとか、色々散らかっていて、日付を見ると、2012年とかだったりする。たった4年前か、と思うくらいいろんなことが変わった。
時間が流れていることは知っていても、1週間、1ヶ月、季節の変化を感じないまま、ここ2、3年は過ごしていた。
文字盤のない、どこが上だかわからない時計を、窓のない部屋の壁にかけて、いつだって夜みたいだった。だからそれまで電球をあつめていたのかな。
自分の中の見えないところが淀んで、少しずつ少しずつ濁って、どろっとしてきて、くさくなって、それでも見えない。だけど、何かの拍子に自分にサインを出してくる。それは昔の写真を見たとき、部屋でふざけてるムービーを見たとき、ソファの縫い目を見たとき。
 
マッチ売りの少女だから、現実逃避の妄想なんだろうけど、自分には、幸せだった過去を思い出してるように見えて何度も何度もみてしまう。
もう一回みたくて寝るのに、二度と見れない夢を、何回もみてるように。

 

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メモと昔のメモ

 

20161019のメモ

朝、理性ってなんだろと思いながら歩いたいたら

持ってたコーヒーを手にこぼした

 

昼、泥棒と間違われたらどうしようかと思いながら歩いていたら

持っていたコーヒーを手にこぼした

 

意味のない事は、「意味のない事」であることによって、

意味のある事になるから、意味のない事はないが、

そもそも意味のない事が意味のあることなら、

意味のない事というのはないのだ

 

 

20141226のメモ

欲望は甘い毒。

恋も欲望のもの。

だから恋すると落ちるという

恋も甘い

毒かどうかは終わってみないとわからないかもしれない

でも苦い良薬かもしれないしね

 

20141218のメモ

言葉と言葉のあいだの辞典

 

20141031のメモ

演説

一人一人でコミュニケーションとれないとき

把握しきれない感性に向き合うときに演説になる

 

20141029のメモ

あさひ

朝のでんしゃによりかかって

外だけむいていられるかべであればいい

とおもっても、そのための形はつくられない

 

それが一人一人がちがうということと

一人一人が誰かのためを考えること

一人一人がみんな自分のきもちしだいであるということ

 

 

詩の中の単語

なにをいみしているかわからないと

雰囲気だけの自己表現になってしまうから

本の中で

はなしのつながりで、

単語にいみをこめていってつづる

 

20140717のメモ

寺の鐘のタイミング

 

20140709のメモ

説明的に説明したくないきもちと、伝えたい気持ちと

 

 

家族が俺以外の3人で旅行に行くという夢をみた

帰って来て、なんで俺はさそってくれなかったの?ときいたら、父は黙り込んでしまった

母におみやげは?ときくと、あるよー。といって、4つ入りのお菓子みたいなやつだけだった

1人一個づつたべながら、

俺のおみやげは?ときいてもなにも無かった

弟はなにもいわないままだった

 

なんでかいわれなくても自分にはいろいろその原因があるように思えて

自分もそれ以上なにも言えなかった

 

読んでいた本に

布団にアロマをひと吹きすると

いい夢がみれる

と書いてあったからやってみたけど

とても悲しい夢をみた

映画

 

数年前、ラピュタバイトをしていたとき

前説をおえて事務所に戻ると、

映写の遠藤さん(元気なおじさん)に、

「あ、岩田君『舟を編む』みた?」(バイトしていたころ公開になった映画)

といわれて、遠藤さんはよくしゃべる人だけど、

話しかけられることはほとんどなかったから、びっくりして、

「あ、いや、まだ観てないです」

と答えると、なぜか事務所のみんながなにかいいたげにニヤニヤしているのを感じつつ、遠藤さんが、

「・・・岩田君、観たほうがいいよ」

といっていた。

「え?」

と戸惑っていると、みんなも

「うん。岩田さんには観てほしい」

などといわれ、そうこうしているうちに遠藤さんは、

「ほいじゃーね」

と帰っていった。

 

学校の友達とかにも「舟を編むみた?げんちゃんでてるよ」

などといわれたけど、結局みたのはしばらくしてからだったと思う

 

今日、昼食はいつも仕事の人全員で外食しにいく事になっているんだけど、

「今日はいいです」

といって、一人でいた。

 

理由も言わずに、逃げるように一人で事務所に残って

戻ってくる前に何かたべなきゃ

と思ってコンビニにいってパンとコーヒーを買って、

事務所で、コーヒーは買ってきたことがばれないように

使っていたコップに入れ替えて、

急いで食べ終えた

 

お昼休みにまで、いるのにいないような扱いをされながら過ごしたくない。

明日はどうしよう。来週はどうしよう。と思ってしまう。

 

最近仕事の帰りは阿佐ヶ谷で降りて西荻まで歩いて帰っている

あの頃と違うほうへ歩いているんだな、と思いながら、

今日はちょっと昔の事を思い出していた